令和2年5月9日、光栄(旧姓矢田)なつ子さんがご逝去されたとの報がご家族からありました。高校時代ののHRは(14-26-38)です。ご遺族の住所は、
矢田さんは当会の集まりに多く参加されています。当ブログから矢田さんの写真を転載させていただきます。
(事務局 小田桐記)
令和2年5月9日、光栄(旧姓矢田)なつ子さんがご逝去されたとの報がご家族からありました。高校時代ののHRは(14-26-38)です。ご遺族の住所は、
矢田さんは当会の集まりに多く参加されています。当ブログから矢田さんの写真を転載させていただきます。
(事務局 小田桐記)
ちょうど1か月くらい前、弘前の夜の町で新型コロナの大クラスターが発生。弘前唯一のクラブからの感染は、病院、大学、役所、老人福祉施設などにも波及しようやく、2日前から感染者ゼロの事態になった。しかし感染者は短い間に、190人を超え高齢者が2人亡くなった。おかげで大学、小・中学校も一時閉鎖となりました。恒例の菊と紅葉まつりは急きょ中止となったが、公園の紅葉はコロナと関係なく紅く染まっている。散ってしまう前に、また見ておこうと昨日も名残を惜しみに出かけたのである。
西の郭の蓮池から、本丸にあがる石段の辺りはゴートートラベルの観光客か?今年はさんきゅう会のお花見も、2年の一度の総会、懇親会も新型コロナウイルスのため中止となりました。外出自粛もあり、仲間とも会う機会がめっきり減り、情報もあまり来なくなっています。10月に入ってから古川会長の住職仲間からの情報で、高橋菊弥先生がご逝去されたことを知りました。今年の5月5日に入院先の病院でお亡くなりとのこと。先生は大正13年生まれの96歳。さんきゅう会には特に思い入れがあり、東京支部の総会もご高齢にもかかわらず、必ず参加していただいたことに感謝申し上げます。安らかなご冥福を 心よりお祈り申し上げます。弘前の近況ですが、桜まつりと、ねぷたまつりは中止となりましたが、菊と紅葉まつりは実行するという市の方針でした。ところが弘前唯一の鍛冶町のナイトクラブがコロナのクラスターとなり、ここ2週間の間に感染者が180人にもなり、祭りは急拠中止となりました。しかし公園では紅葉も菊も咲き始めています。植物園では大ヒットアニメ「鬼滅の刃」をモチーフにした菊の樽絵が展示されていた。
樽絵が作られているのは、植物園の自由広場。奥には丑寅の櫓、岩木山の舞台では昨年、リンゴ娘のコンサートも開かれていたのだが。鹿の絵は花札の絵柄であるが、鬼滅の刃の主人公の妹「禰豆子」のイメージである。アニメフアンが見れば謎が解ける。この鶴はアニメの主人公、「丹治郎」のイメージ。フチの市松模様は丹治郎の着物の柄のデザイン。スマホで丹治郎と検索すれば、アニメチックな丹治郎にお目にかかれます。長い間の念願だった、れんが倉庫美術館が弘前にオープンした。
道路が邪魔ですがれんが倉庫美術館の遠景です。右の建物が美術館本館。左の建物はミュージアムショップ&カフェレストラン。
重厚な美術館のエントランス。美術館は建物その物が芸術であると言われる。この建物は、明治、大正期に建てられ、戦後シードルの製造がおこなわれていた。旧吉井酒造そしてニッカ弘前工場となったこともある。
この美術館のコンセプトは現代アートを通して地域と世界を結び、文化創造の拠点を目指すとある。この作品はタイの作家によるレンガ倉庫や弘前にまつわる人物や歴史をねぷたの扇型に表現している。
レンガ倉庫の中が今は現代美術の殿堂となっている。
この美術館誕生に関与したアーチストとして、奈良美智がいる。奈良は海外で特に有名な現代アーチスト。弘高昭和53年卒。櫻田宏現市長と同期である。改装前のレンガ倉庫で過去3回展覧会を開き、都合15万8千人の動員があった。これからの企画に大いに期待が集まるものである。
今年の弘前の夏は生まれて初めて、ねぷたまつりの無い夏です。土手町の商店街にはせめてもと、店の軒先に金魚ネプタを飾って、夜には灯をともし城下町の雰囲気を出しています。市役所のエントランスロビーの吹き抜けには金魚ネプタをたくさん釣るしていました。
子どもの頃ねぷたまつりに参加して、この可愛い金魚の提灯や灯篭を持ったことがある。この金魚のモデルは江戸時代に作り出された津軽錦と言う種類。そして北前船で山口県柳井市から運ばれてきた金魚提灯がルーツと言われている。天明年間に二人の藩士が金魚を飼育していたという記録が弘前藩庁日記に残っているのは驚きです。