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2023年10月4日水曜日

斎藤祐(11-21-39) 村上春樹の情報発信

  村上春樹氏は昭和52から55年頃、東京千駄ヶ谷でジャジ喫茶「ピータキャット」を経営していた。斎藤さんはそのころからの知り合いだ。千駄ヶ谷で書店を経営していた斎藤さんが 村上春樹氏の地元の応援団として地元で勉強会をしていましたが、一年前から千駄ヶ谷でしかできない情報をyouTubeで発信し始めましたので紹介します。

https://www.youtube.com/@user-ut9jr6vu1s

   あすはノーベル賞(文学賞)の発表のですね。

小田桐 記




2016年10月5日水曜日

書道上達せんべい

17-24-39HRでのクラスメートだった赤平和順さんは、現在、泰処と号する書家で、大正大学の名誉教授です。

「書の実を求めて」という副題の付いた、彼の書展が9月27日から10月2日まで、銀座二丁目のメルサで開かれたので出かけました。
私が見た彼の書展の中で最も広いと思われる会場が、彼の作品で埋め尽くされていることに、まず驚きました。
 作品の中には、一戸謙三の「弘前」や陸羯南の「名山~」詩も含まれており、“生まれ育った場所を書で表現したい”(陸奥新報2016.9.29記事)という、彼の意気込みを実感できました。
 また、会場中央のテーブルでは「さんきゅう会」の鳴海夫妻からの祝花が、目に留まりましたので、記念撮影をしました。(写真上)
 お土産として、立派な図録の他に、新寺町の「しかないせんべいS」特製の「書道上達せんべい」を頂きました。(写真下)


(笠井記)

2015年12月29日火曜日

中林さん祝賀会

39会の中林裕雄さんの受賞記念祝賀会が、12月20日(日)、弘前パークホテルで賑やかに開かれました。
パーティーは、柿崎会員の軽妙な司会で、二部に分かれて行われました。

第一部 「旭日小綬章受賞記念祝賀会」
  参加者55名(中林夫妻含む)

① 開会の辞    板垣副会長
② 挨拶      太田会長
③ 来賓祝辞    滝本弘前高校校長
恩師 佐藤圭一郎先生
恩師 高橋菊弥先生
④ 記念品・花束贈呈
⑤ 祝電披露
⑥ 謝辞      中林さん
⑦ 祝奏      三上・板垣・金澤会員のトリオ
⑧ 閉会の辞    秋山副会長

受賞した旭日小綬章(勲記・勲章・略章)は、演壇の前方横に披露され、参加者がそれぞれに拝見しました。

開会に先立ち、中林さんがご夫人を伴い入場し、参加者の大きな拍手で迎えられました。
皆様の挨拶や祝辞の中にもありましたが、初めて会う人は奥様ではなくお嬢さんをエスコートして来たのかなと思ったようでした。(小生も同感です)

挨拶・祝辞は夫々に、中林さんの人柄、母校に対する貢献度、学生時代の頃の思い出を語り、受賞をお祝いしてました。

謝辞の中で中林さんは受賞をしたのは奥様のお陰、と非常に感謝していました。(そういえば人の前で家内に感謝を言った事が有ったっけ・・・・  無かったよな)


第二部 「祝宴」

① 乾杯        鳴海鏡ヶ丘同窓会名誉会長
② テーブルスピーチ(各HR代表会員)
31H 太田正史  32H 奈良安規  33H花田勝美   34H 小林忠一郎  35H 鳴海悌子
36H 馬場 守    37H 田沢一之   38H 佐々木淳造  39H 館山彦雄
③ 歓談
④ 中締め       山形副会長

軽妙洒脱な鳴海同窓会名誉会長の音頭で、地元の日本酒を使って行われました

各HR代表のテーブルスピーチは夫々に、小中学校時代の出来事や、交友関係の事、弁護士会出の活動、依頼でお世話になった時の事などが披露され、彼は世の中の人が弁護士に抱いてるイメージの中では、間違いなく良いイメージの方に属していると話してまして、その延長線上に勲章受賞があったんだと感じました。

歓談の中で、高梨先生からワインを送って頂いたと話題になりました。私もご相伴にあずかりました。高梨先生ご馳走様でした。



番外編 二次会 (アネックスビル 2F アマン)

(小島会員が店を閉めてから、新しい溜り場が出来た様でした)

中林夫妻も含めて総勢25名が参加、少しぎゅうぎゅう詰めでしたが、カウンター、ボックス席に陣取り、ワイルドターキー、焼酎、日本酒、ビール等で再度乾杯。わいわい・がやがや話しに花が咲き、10時過ぎまで大盛会。

祝賀会が55名、二次会が25名、鏡ヶ丘の同期会でこれだけの人数が集まる年次は有るのでしょうか? あらためて39会本部のパワーには恐れ入りました。
また、39会事務局の皆さん、ありがとうございました。


(以上。東京支部 太田記)

PS 翌日の陸奥新報に、写真入でパーテーの模様が掲載されておりました。