2013年10月31日木曜日

白神山地・暗門の滝を散策ーー世界遺産となって20年ーー

 恒例の39会懇親旅行が10月20日~21日に開催されました。


函館から始まり十和田湖、軽井沢、ランプの宿青荷温泉、そして昨年の蔦温泉と今年で6回目になりました。
今年は白神山地 暗門の滝を散策しつつ秋の世界遺産を堪能することになりました。
当日は雨模様の中 12名の参加がありました。健脚の皆さんは往復2時間の行程を最後まで元気に踏破し、秋の白神を心ゆくまで満喫しました。雨が秋の深まりを 感じさせる一日でした。 (参加者氏名略) 森山

[参考ー陸奥新報提供]
*「世界遺産白神 登録から20年」
・第1部 地域の現状
・第2部 環境と生態系
(注;このリンクは、当該ページに限って陸奥新報が許諾したものです。記事の転載ならびにこのページへのリンクは固くお断りします。)

2013年10月19日土曜日

地下の怨霊


青森県は藩政時代から西側(日本海側)を津軽、東側(太平洋側)を南部と称している。津軽地方の中心都市は弘前市(津軽藩)であり、南部地方の中心都市は八戸市(南部藩)である。その中間に位置する県庁所在地の青森市は情緒的には津軽と南部の双方に目配せしてきた。しかしながら寄稿は、この三つの代表する都市が文化的、情緒的にも全く絡み合っていないというお話です。

南部地方に「えんぶり」という郷土芸能がある。ルーツは鎌倉時代にまでさかのぼり、藩政時代に今のかたちに整えられたという。毎年小正月に、その年の豊作を祈願し、播種から収穫までを表現したもので、三人ないし五人の太夫が烏帽子をかぶり、囃子にあわせて舞い、子供たちによる「えびす舞い」や「手踊り」が加わる。「えんぶり」は農具の扱いに由来するというが、問題としたいのはその数人の太夫による「舞い」という動作だ。つまり、舞いとは足裏を地面から離さない「足を摩る」という動作なのだ。

弘前市で知る人ぞ知るマンドリンオーケストラの作曲家であり、北奥の民俗芸能研究家でもある木村弦三(津軽三味線の発掘者)はその著書(北方芸能誌)で舞いと踊りは全く違うと主張している。話は長くなるから端的に申せば、踊りは生命の躍動、舞いは死者への鎮魂だという。
木村弦三は津軽の鹿(しし)舞(奥州北端のしし頭は獅子頭ではなく熊と鹿の合成という)は仏教が伝来するはるか太古の昔から、山中で狩りをしていた「マタギ」の風習を踏襲したものだと主張する。詳細は省くが、山中で鹿や熊を射ると、マタギは肝を取り、毛皮をはぎ、遺体は土中に丁寧に埋葬した。マタギたちは山の神にその御礼を奉納した。それが「舞い」だというのだ。舞いは地べたから足の裏を離さない、そして土中に籠ったさまざまな怨念を足の裏から体内に取り入れ、指の先から天空に放射する。そのとき、鮮烈なエクスタシーを感じると古老のマタギは話していたそうだ。
木や葉や動物の死骸はやがて土と化して土中に籠る。したがって、縄文人は土という物質は生命の痕跡や情念が残存化したものと信じた。木村弦三は縄文土器とは、かような地鎮信仰に由来するもだと主張する。縄文信仰とは、土中深くに渦巻く怨霊を空中へ放射することだと。つまり「えんぶり」という行事は根っこにおいて縄文までさかのぼるということだ。
すると、一部を壊して埋めた亀ヶ岡土偶にはじまり、金沢市近郊のウッドサークル、秋田県大湯の環状列石、アイヌの斎場、三内丸山遺跡の巨大な木柱、旧出雲大社の巨大構造物、諏訪大社の御柱など明快に説明できるではないか。これらは人間生活に死して悪をもたらす土中に籠った怨霊を天空へ放射する装置なのだ。

さて、青森県東部の六ヶ所村は土地は痩せていて農業には適さず、一部酪農で生計をたてていた寒村にすぎなかった。青森県全体での平均所得は当時237万円(現在362万円)であったが、この村は原発の誘致によって一人当たり1,364万円(当時)に莫大化した。誘致は核燃料サイクル工場システムというか、つまりそれらに関する工場群である。これについての詳細は省く。詰まるところ、排出される放射能は低レベルで空中に散布され、液体化されて深海に流出され、これは人体への影響は全くないとされている。
核燃料サイクルのウラン濃縮加工にあって、低レベルの放射性廃棄物はドラム缶に詰め込まれて(すでに数十万本というが)、原発が稼働していく限り、際限なく土中数メートルに埋設されていく。行き場を失っている高レベル放射性廃棄物はどうかというと、おそらく六カ所村の数百メートル地下に埋設されていくだろう。
ユーラシア大陸のように一部を除いて堅固な岩盤上に形成された国土ではない。頻発する火山や地震によって日本の国土は砂利と瓦礫の堆積で形成されている。この土中ははたして安全なのか。
六ヶ所村の使用済核燃料再処理工場は、八戸地方が地域の発展という名目で様々な国策を受け入れてきた歴史的背景がある。しかし、六ヶ所村に関してはその見返りを考慮しておかねばならない。放射性物質の土中埋設とは、はるか縄文の地鎮信仰を現代の科学に置き換えてみせるという見識と努力が必要である。それは使命でもあるはずだ。

青森県のとある有力な職員と話したことがある。
わたしは、この原発政策の有無はともかく、かような事態になっているからには弘前大学の地学、理学、医学の総合的拠点というか医療関係研究機関を六ヶ所村に設けるべきだと進言した。
現青森県知事も国策として原発を推進する立場のようだが、そんな青森県の有力職員はわたしに対してこう言った。
「たかが(よそ者の)木村さんごときに、県下最大の大学である弘前大学に対して進言するとか、県に対しての談判などしてもらいたくない。迷惑だ」と。
「親方日の丸」とはこのことかと思った。  (以上は、木村峻也さんから寄稿されたものです。)

2013年10月8日火曜日

「鏡ヶ丘130年パーティ」での「さんきゅう会」


2013年10月5日に、母校130年記念式典がありました。
午後のパーティには、13名のさんきゅう会員が顔を揃えました。
・太田正史・柿崎光顕・笠井哲哉・古川道雄
・三戸建次・竹内明夫・田沢一之・館田勝弘
・永井雅広・長尾光洽・中林裕雄・奈良安規・鳴海光彦)
(五十嵐実は講演会のみ参加)


全員の集合写真は取れませんでしたが、会場の雰囲気をご覧ください。