2015年6月29日月曜日

古稀記念写真帳

2015.6支部総会で配られた、古稀記念写真帳から

1985.6 当時の若々しさ


2001.6 渋谷区宇田川での総会


2011.6 軽井沢での国語教室


2011.9 総会後に「ふくろう亭」で



2012.10 津軽家上屋敷跡の発掘展


2014.1 港区芝での英語教室

カラオケルームでの支部総会

 2015.6.27 総会(パセラ上野公園前店)と二次会(ふくろう亭)での写真集です。
文字通り「公園前」

会場はカラオケルーム

会場準備



スピーチに聞きほれて








二次会は19時まで







2015年6月20日土曜日

横浜での陸羯南(くがかつなん)展



横浜の新聞博物館で、新聞「日本」をテーマとする企画展が始まりました。


「孤高の新聞『日本』 ―羯南、子規らの格闘」
[会  期]2015年6月20日(土)~8月9日(日)
[場  所]日本新聞博物館 2階企画展示室
[主  催]東奥日報社/愛媛新聞社/日本新聞博物館
[特別協賛]青森銀行/みちのく銀行
[後  援]青森県/愛媛県/青森県教育委員会/愛媛県教育委員会/弘前市/松山市/
弘前市教育委員会/松山市教育委員会/神奈川県教育委員会/
横浜市教育委員会/陸羯南会/陸羯南研究会/松山子規会/子規庵保存会

19日に開かれた、「オープニング・セレモニー」の模様が、20日の東奥日報朝刊に報じられていました。
その中で、弘前市郷土文学館の館田さんが、「羯南の生き方を通して、新聞記者は文学者なんだと、実感した」、「(羯南と子規の間には)文学を軸とした人間的なつながりがあった」という感想を述べています。

早速410円(シルバー料金)を払って見学しましたが、全体的に違和感のない内容でした。

会場の出口で「陸羯南を語る(陸羯南会報)」が無人頒布されていました(写真)。館田さんが主宰している「陸羯南会」が、その存在をPRしているように感じました。

内容は、子規が漱石宛ての書簡(明治33年)に書いた羯南評をはじめ、関係者(加藤恒忠・河東碧梧桐・佐藤紅緑・寒川鼠骨・古島一雄・東奥日報)の、羯南評をとり纏めたものです。

展示品の中には、20年程前に出版された司馬遼太郎の「北のまほろば」もありました。
この本で司馬が羯南の功績を称えたことが、地元での羯南研究を活性化させたことは、事実です。

実は、週刊誌に連載された当初は、(羯南は)「一人の研究者もその故郷に持っていない」という断定的な表現だったのですが、郷土からの抗議に応じて、現在の「多いというほどの研究者をその故郷に持っていない」という表現に変更されたものです。
参照;「ご叱正もっともであります」

司馬が上記のように誤解した理由は不明ですが、津軽での羯南研究の状況が、広く伝わっていなかったことが一因であろうと、私は想像します。(笠井記)