39会の中林裕雄さんの受賞記念祝賀会が、12月20日(日)、弘前パークホテルで賑やかに開かれました。
パーティーは、柿崎会員の軽妙な司会で、二部に分かれて行われました。
第一部 「旭日小綬章受賞記念祝賀会」 参加者55名(中林夫妻含む)
① 開会の辞 板垣副会長
② 挨拶 太田会長
③ 来賓祝辞 滝本弘前高校校長
恩師 佐藤圭一郎先生
恩師 高橋菊弥先生
④ 記念品・花束贈呈
⑤ 祝電披露
⑥ 謝辞 中林さん
⑦ 祝奏 三上・板垣・金澤会員のトリオ
⑧ 閉会の辞 秋山副会長
受賞した旭日小綬章(勲記・勲章・略章)は、演壇の前方横に披露され、参加者がそれぞれに拝見しました。
開会に先立ち、中林さんがご夫人を伴い入場し、参加者の大きな拍手で迎えられました。
皆様の挨拶や祝辞の中にもありましたが、初めて会う人は奥様ではなくお嬢さんをエスコートして来たのかなと思ったようでした。(小生も同感です)
挨拶・祝辞は夫々に、中林さんの人柄、母校に対する貢献度、学生時代の頃の思い出を語り、受賞をお祝いしてました。
謝辞の中で中林さんは受賞をしたのは奥様のお陰、と非常に感謝していました。(そういえば人の前で家内に感謝を言った事が有ったっけ・・・・ 無かったよな)
第二部 「祝宴」
① 乾杯 鳴海鏡ヶ丘同窓会名誉会長
② テーブルスピーチ(各HR代表会員)
31H 太田正史 32H 奈良安規 33H花田勝美 34H 小林忠一郎 35H 鳴海悌子
36H 馬場 守 37H 田沢一之 38H 佐々木淳造 39H 館山彦雄
③ 歓談
④ 中締め 山形副会長
軽妙洒脱な鳴海同窓会名誉会長の音頭で、地元の日本酒を使って行われました
各HR代表のテーブルスピーチは夫々に、小中学校時代の出来事や、交友関係の事、弁護士会出の活動、依頼でお世話になった時の事などが披露され、彼は世の中の人が弁護士に抱いてるイメージの中では、間違いなく良いイメージの方に属していると話してまして、その延長線上に勲章受賞があったんだと感じました。
歓談の中で、高梨先生からワインを送って頂いたと話題になりました。私もご相伴にあずかりました。高梨先生ご馳走様でした。
番外編 二次会 (アネックスビル 2F アマン)
(小島会員が店を閉めてから、新しい溜り場が出来た様でした)
中林夫妻も含めて総勢25名が参加、少しぎゅうぎゅう詰めでしたが、カウンター、ボックス席に陣取り、ワイルドターキー、焼酎、日本酒、ビール等で再度乾杯。わいわい・がやがや話しに花が咲き、10時過ぎまで大盛会。
祝賀会が55名、二次会が25名、鏡ヶ丘の同期会でこれだけの人数が集まる年次は有るのでしょうか? あらためて39会本部のパワーには恐れ入りました。
また、39会事務局の皆さん、ありがとうございました。
(以上。東京支部 太田記)
PS 翌日の陸奥新報に、写真入でパーテーの模様が掲載されておりました。
2015年12月29日火曜日
2015年7月1日水曜日
2010年5月28日金曜日
「歩ぐ会」で知った津軽のこと
笠井さんからの 「歩ぐ会」参加のお誘えで、初めて 「歩ぐ会」に参加しました。
また、連絡メールで初めて笠井さんの「津軽と江戸」のブログに接しました。
「歩ぐ会」参加に先立ち、「津軽と江戸」:石川城址のブログを読ませていただき、本棚の片隅にあった「まんが卍の城物語(陸奥新報社)」を引っ張り出し再読しました。為信の奸計がなければ津軽は南部氏で統一されていたかもと、勝手に思っています。
石川城址は、地元の小、中学校を過ごした我々にとっては、一番の遊び場で、地下洞は肝試しの場所でもありました。今でも薄暗く、冷たさを感じた事を思い出されます。
笠井さんが立ち寄った三ヶ月後のの八月の初めに帰郷し、同じ場所をひとり歩き回り、その晩、石川の連中と酒盛りをしました。その中に笹田将臣氏(34HR)も加わりました。彼は今、幽庵と名乗り能面造りに没頭しているとのことでした。藤井忠善氏(37HR)も帰郷時には必ず飲み明かす仲間だったのですが、他界して何年立つだろうか。一級建築士の看板を掲げて国鉄・石川駅の前に事務所を構えていたのに残念でなりません。小田桐国男氏(38HR)も去年の初め亡くなったと聞き驚きました。彼とは小学校一年生から中学三年生まで全部同じクラスでした。実家も私の実家のすぐ近くです。
その晩、石川の街中を私の地元大沢のネブタが地元周りの日で練り歩いていました。次の日からこのネブタを引っ張って市内を練り歩きました。この経験は五十年ぶりかもしれません。今年こそは早めに帰郷し太鼓の練習して街中を歩こうかと思っています。
「歩ぐ会」に参加に参加して初めて、津軽藩の江戸屋敷が、京葉道路沿で、JR総武線がこの屋敷の中央を走っていることを知りました。
「歩ぐ会」で食べたカニ美味しかったです。こちらの席は39会の人といったので私の前の二人は、39会の誰かなと思って話をあわせていたら、違うと言う事に気がつきました。帰宅して「弘中・弘高 かわらばん(H21-9-1第 15号)」をみていたら 先輩の小山内裕氏(東京県人会会長 S29卒)長内健氏(S37年卒)でした。
長内さんが大鰐出身、私が石川出身ということでかなりの部分が共有しているのに驚きました。手古奈氏のこと、俳句の道のこと、弘前電鉄で通学したこなど・・・・です。 是非 親父の俳句集をみてもらいたい思いました。親父「木堂」は根っこからの百姓ですが、戦前から手古奈主宰の「十和田」の同人でした。この句集は「十和田」に掲載された親父の句や文を集めたです。
笠井さんの「津軽と江戸」をたよりにいつか都内を歩いてみようと思います。
小田桐弘
また、連絡メールで初めて笠井さんの「津軽と江戸」のブログに接しました。
「歩ぐ会」参加に先立ち、「津軽と江戸」:石川城址のブログを読ませていただき、本棚の片隅にあった「まんが卍の城物語(陸奥新報社)」を引っ張り出し再読しました。為信の奸計がなければ津軽は南部氏で統一されていたかもと、勝手に思っています。
石川城址は、地元の小、中学校を過ごした我々にとっては、一番の遊び場で、地下洞は肝試しの場所でもありました。今でも薄暗く、冷たさを感じた事を思い出されます。
笠井さんが立ち寄った三ヶ月後のの八月の初めに帰郷し、同じ場所をひとり歩き回り、その晩、石川の連中と酒盛りをしました。その中に笹田将臣氏(34HR)も加わりました。彼は今、幽庵と名乗り能面造りに没頭しているとのことでした。藤井忠善氏(37HR)も帰郷時には必ず飲み明かす仲間だったのですが、他界して何年立つだろうか。一級建築士の看板を掲げて国鉄・石川駅の前に事務所を構えていたのに残念でなりません。小田桐国男氏(38HR)も去年の初め亡くなったと聞き驚きました。彼とは小学校一年生から中学三年生まで全部同じクラスでした。実家も私の実家のすぐ近くです。
その晩、石川の街中を私の地元大沢のネブタが地元周りの日で練り歩いていました。次の日からこのネブタを引っ張って市内を練り歩きました。この経験は五十年ぶりかもしれません。今年こそは早めに帰郷し太鼓の練習して街中を歩こうかと思っています。
「歩ぐ会」に参加に参加して初めて、津軽藩の江戸屋敷が、京葉道路沿で、JR総武線がこの屋敷の中央を走っていることを知りました。
「歩ぐ会」で食べたカニ美味しかったです。こちらの席は39会の人といったので私の前の二人は、39会の誰かなと思って話をあわせていたら、違うと言う事に気がつきました。帰宅して「弘中・弘高 かわらばん(H21-9-1第 15号)」をみていたら 先輩の小山内裕氏(東京県人会会長 S29卒)長内健氏(S37年卒)でした。
長内さんが大鰐出身、私が石川出身ということでかなりの部分が共有しているのに驚きました。手古奈氏のこと、俳句の道のこと、弘前電鉄で通学したこなど・・・・です。 是非 親父の俳句集をみてもらいたい思いました。親父「木堂」は根っこからの百姓ですが、戦前から手古奈主宰の「十和田」の同人でした。この句集は「十和田」に掲載された親父の句や文を集めたです。
笠井さんの「津軽と江戸」をたよりにいつか都内を歩いてみようと思います。
小田桐弘
登録:
投稿 (Atom)





