2022年8月28日日曜日

弘前ねぷた300年祭を記念して、青森ネブタ、斜里ネプタ、太田ネプタが合同運行される。

8月27日の夜、弘前ねぷた300年祭を記念して 青森ネブタ、斜里ネプタ、太田ネプタの合同運行が行われた。

まだ薄暮の中出陣を待つ、弘前の扇ねぷた。
ネプタ集団「津軽衆」のねぷた。前ネプタと本ネプタ。
本ネプタの鏡絵は「藩祖津軽為信」です。
弘前では珍しい組ネプタ(人形ネプタ)昔からこのスタイルも続いていました。弘高ねぷたはこのスタイルですね。
弘前市との友好都市北海道斜里町のねぷた。
藩政時代、弘前藩士がロシアの侵入を防ぐため北方警備に従事し多数の藩士などが遭難にあった。
群馬県太田市尾島町は弘前藩の飛び地の領地があったところ。二代藩主の側室大館御前(石田三成の娘)がすんでいたとされる。ここも友好都市の協定を結び、86年からネプタまつりが続いている。
起源は同じねぷたにネブタであるが、青森のねぶたは弘前の
道路からはみ出してしまいそう。
 弘前を練り歩くのは初めてみたいです。






2022年8月17日水曜日

第20回弘高さんきゅう会定時総会開催

 令和4年8月14日 弘前パークホテルで開催されました。







長尾さんより東京さんきゅう会に送られて来たものをそのまま掲載しています。
(記 小田桐)

2022年8月6日土曜日

今年の弘前ねぷたは300年祭ですよ‼

 弘前ねぷたまつりも新型コロナの蔓延で2年連続中止となった。さすが3年もするとコロナ疲れでいやいやしていたところ。まだ第7波の兆しが見えない頃に、経済を廻さなくてはとの政策で、行動制限はしないは夏休みが始まった。まず青森のねぶた祭りが開催を決め、それに引き続き弘前、五所川原も続いた。

 弘前ねぷたは1722年(享保7年)の弘前藩庁日記7月6日に、5代藩主信寿が紺屋町の織座で「称むた」を高覧したとある。「称むた」は「ねむた・ねぷた」である。

 ネプタの正面は鏡絵。裏は送り絵と呼ぶ。表と裏でがらりと雰囲気が変わるところがまた面白い。弘前ねぷたは青森ネブタと違った情緒がある。
私の子供の頃は無かったが、ネブタも年々大型化しているが、お囃子の太鼓もそうだ。中には大型太鼓を、若い女性が跨いでもろ肌脱ぎ、胸にはさらしを巻き、太鼓をたたいている。歳よりには、目の保養にもなって中々いいもんですよ。
ネプタを長年見ていると、好みの絵師が出来てくる。私の好みは茂森新町の「三浦呑龍師」。昔からの伝統をしっかりと受け継いで進化している気がするのである。
この町会は絵師、曳手や囃子方が一緒になって運行し、後継も育成している姿が見えるのは嬉しい。
 さて、今年のさんきゅう会の第20回総会は4年ぶりに開催予定となっている。流石今回は、他県からの参加予定はゼロであるが、今のところ、40名の申し込みがあるそうだ。
 昨日の青森県の新型コロナの感染者は青森、八戸を抜いて弘前が第一位の424人ある。予定していた二次会は中止となった。AIの感染状況予想では6日をピークに緩やかに下がっていくという。鏡が丘同窓会も、弘高ねぷたも7月に行われたので、さんきゅう会も無事開催されることを願うのみである。                ターザン