2015年6月20日土曜日

横浜での陸羯南(くがかつなん)展



横浜の新聞博物館で、新聞「日本」をテーマとする企画展が始まりました。


「孤高の新聞『日本』 ―羯南、子規らの格闘」
[会  期]2015年6月20日(土)~8月9日(日)
[場  所]日本新聞博物館 2階企画展示室
[主  催]東奥日報社/愛媛新聞社/日本新聞博物館
[特別協賛]青森銀行/みちのく銀行
[後  援]青森県/愛媛県/青森県教育委員会/愛媛県教育委員会/弘前市/松山市/
弘前市教育委員会/松山市教育委員会/神奈川県教育委員会/
横浜市教育委員会/陸羯南会/陸羯南研究会/松山子規会/子規庵保存会

19日に開かれた、「オープニング・セレモニー」の模様が、20日の東奥日報朝刊に報じられていました。
その中で、弘前市郷土文学館の館田さんが、「羯南の生き方を通して、新聞記者は文学者なんだと、実感した」、「(羯南と子規の間には)文学を軸とした人間的なつながりがあった」という感想を述べています。

早速410円(シルバー料金)を払って見学しましたが、全体的に違和感のない内容でした。

会場の出口で「陸羯南を語る(陸羯南会報)」が無人頒布されていました(写真)。館田さんが主宰している「陸羯南会」が、その存在をPRしているように感じました。

内容は、子規が漱石宛ての書簡(明治33年)に書いた羯南評をはじめ、関係者(加藤恒忠・河東碧梧桐・佐藤紅緑・寒川鼠骨・古島一雄・東奥日報)の、羯南評をとり纏めたものです。

展示品の中には、20年程前に出版された司馬遼太郎の「北のまほろば」もありました。
この本で司馬が羯南の功績を称えたことが、地元での羯南研究を活性化させたことは、事実です。

実は、週刊誌に連載された当初は、(羯南は)「一人の研究者もその故郷に持っていない」という断定的な表現だったのですが、郷土からの抗議に応じて、現在の「多いというほどの研究者をその故郷に持っていない」という表現に変更されたものです。
参照;「ご叱正もっともであります」

司馬が上記のように誤解した理由は不明ですが、津軽での羯南研究の状況が、広く伝わっていなかったことが一因であろうと、私は想像します。(笠井記)

2015年5月22日金曜日

さんきゅう会2015(速報)



今年の「さんきゅう会」総会は、東京支部が担当し、次のよう行なわれますので、速報します。
ヘバマダ、アドガラ

●ご案内
日時;6月27日(土)14~16時半
会場;パセラリゾーツ(上野公園前店)
会費;1万円(総会・二次会・事務費込)

二次会は「ふくろう亭」で17時から19時まで

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近日中に、往復はがきで詳細が通知されます。

(出欠回答は、6月20日までに、返信用はがきを投函してください。)

6月になっても通知未着の方は、支部事務局(笠井)へご連絡ください。

事務局 


2015年5月1日金曜日

観桜会2015.4.29弘前


今年の目玉(内堀の水面から見上げる「天守」)


本丸下の水芭蕉



29日の開花状況


外堀の「花いかだ」


懇親の概要


二次会


2015年2月18日水曜日

「陸羯南会」総会に参加


 2月15日(日)の午後、「陸羯南会」総会へ久しぶりに参加した。
 さんきゅう会メンバーの参加は、秋山、笠井、小林、館田、田沢、長尾さんの6人だった(全体の1/6近く)。

 
 





 活動報告の中で、「(陸羯南顕彰)中学生作文コンクール」への応募数が、低迷している旨が報告された。
 昨年度は、3校から11名の応募にとどまったという。

 この作文コンクールは、「新・弘前人物志」で紹介された先人の中から一人について、感想を書くというものだ。昨年度の入賞作文では、「前田光世」「柴田やす」「陸羯南」等が対象となった。

 「新・弘前人物志」は、弘前市教育委員会が中学生向けに作成している副教材で、購入を希望する人は古書店で入手していた。最近は、一般市民向けにも販売されているようだ。
 この作文コンクールの趣旨が、郷土の先人への親近感を維持することにあるのなら、応募資格を一般人にも拡大してはどうだろうか。

(東京)「陸羯南研究会」の高木宏治氏が懇親会でスピーチされる予定なので心残りではあったが、総会終了直後に中座して帰京した。


 
 

2014年11月1日土曜日

平尾魯仙の碑

 弘前高校の近くにある貞昌寺は、弘前藩主の生母や姫君を葬っているために裏方菩提所とも呼ばれています。
3代藩主信義の生母辰子姫(=石田三成の娘)や、1821年の相馬大作事件の当時の用人だった笠原八郎兵衛、マルチ文化人だった平尾魯仙、津軽史の研究者だった下澤保躬(やすみ)、「青い山脈」の著者石坂洋次郎(分骨)など、津軽史の著名人がたくさん眠っています。
辛亥革命を援助した山田良政碑(孫文が揮毫)・純三郎碑(蒋介石が揮毫)もあります。

最近、平尾魯仙の墓前に、説明板が建てられました。
早速、街歩きの人々が訪れているようです。


「平尾魯仙 文化五年~明治十三年(1808~1880)幕末から明治初期の頃の画人かつ国学者」で始まる説明板の文字は読みやすく、魯仙肖像と寄書き」と「暗門瀑布図」も載っています。
昨2013年に、青森県立郷土館で特別展「平尾魯仙~青森のダ・ヴィンチ~」が行われました。



碑の裏面には、次のようにあります。
「平成二十六年十月吉日 
建立  平尾とよ 
撰文  娘 治子
発起人 三戸建次
石工  安田石材 石むろじ
安田伊佐武」
この発起人は、柔道家の前田光世(コンデコマ)の研究者として知られる人物で、撰文者はその奥さんです。
また、この碑は石工の寄付によるものだそうです。


弘前は、街歩きに適した街ですが、建物や墓碑の説明板が不足しています。
このような説明板を建てることは、観光客への「おもてなし」であるとともに、地元の人々に郷土の歴史を伝えることに役立ちます。
「知っている人に解ればよい」(覚でる人覚でれば良い)という、「謙虚な」発想から脱却して欲しいものです。

2014年10月26日日曜日

東京鏡ヶ丘総会2014

 2014年の東京鏡ヶ丘総会は、10月25日(土)13時から、神田錦町の「学士会館」で開かれ、約120名が参加しました。
「さんきゅう会」からは、4名が参加しました(他に、参加予定の1名は欠席)。

会場での、写真をご覧ください。(さんきゅう会以外の方も多数登場)

長谷川達温和尚(15卒)の作品
 

記念撮影


鍛治町から出張?


パパ大津留ー八丈島在住の38卒


若げもの-20歳前も


下駄預け54卒から55卒へ   おっとっと




終了後に、「ふくろう亭」で行われた懇談では、「雪掃除」が話題になりました。南校舎の一階にあった37HRでも、雪を入れて「掃除」をしていたそうです。

2014年10月8日水曜日

「雪を用いた床掃除」

 昭和36年に高校に入学して、鉄筋コンクリートの校舎に入りました。その最初の冬に撮影された写真を、(当時11HRだったCiaoさんからの提供で)掲載します。

 この写真へのコメントをお待ちしています。

~~~~~~~ Ciaoさんから ~~~~~~~~~~~~~
 今回はとても珍しい光景として「雪を用いた床掃除」というタイトルで4枚紹介したいと思います。
 コメントといって特にないのですが・・・ 

 疑問とか感想を上げると 
  1.学校側の提案あるいは許可があって実施されたものなのでしょうか?
  2.以前から慣例的に行われて来たものなのでしょうか。先輩に聞いてみたいですね。
  3.教室や廊下の素材は何だったのでしょうね。
  4.これらの写真は11HRで1階ですが、2階はどうだったのでしょう?
  5.生徒たちは勉学の緊張から解き放たれ、生き生きとして楽しそうですね。