2010年5月28日金曜日

「歩ぐ会」で知った津軽のこと

笠井さんからの 「歩ぐ会」参加のお誘えで、初めて 「歩ぐ会」に参加しました。
また、連絡メールで初めて笠井さんの「津軽と江戸」のブログに接しました。

「歩ぐ会」参加に先立ち、「津軽と江戸」:石川城址のブログを読ませていただき、本棚の片隅にあった「まんが卍の城物語(陸奥新報社)」を引っ張り出し再読しました。為信の奸計がなければ津軽は南部氏で統一されていたかもと、勝手に思っています。
石川城址は、地元の小、中学校を過ごした我々にとっては、一番の遊び場で、地下洞は肝試しの場所でもありました。今でも薄暗く、冷たさを感じた事を思い出されます。

笠井さんが立ち寄った三ヶ月後のの八月の初めに帰郷し、同じ場所をひとり歩き回り、その晩、石川の連中と酒盛りをしました。その中に笹田将臣氏(34HR)も加わりました。彼は今、幽庵と名乗り能面造りに没頭しているとのことでした。藤井忠善氏(37HR)も帰郷時には必ず飲み明かす仲間だったのですが、他界して何年立つだろうか。一級建築士の看板を掲げて国鉄・石川駅の前に事務所を構えていたのに残念でなりません。小田桐国男氏(38HR)も去年の初め亡くなったと聞き驚きました。彼とは小学校一年生から中学三年生まで全部同じクラスでした。実家も私の実家のすぐ近くです。

その晩、石川の街中を私の地元大沢のネブタが地元周りの日で練り歩いていました。次の日からこのネブタを引っ張って市内を練り歩きました。この経験は五十年ぶりかもしれません。今年こそは早めに帰郷し太鼓の練習して街中を歩こうかと思っています。

「歩ぐ会」に参加に参加して初めて、津軽藩の江戸屋敷が、京葉道路沿で、JR総武線がこの屋敷の中央を走っていることを知りました。

「歩ぐ会」で食べたカニ美味しかったです。こちらの席は39会の人といったので私の前の二人は、39会の誰かなと思って話をあわせていたら、違うと言う事に気がつきました。帰宅して「弘中・弘高 かわらばん(H21-9-1第 15号)」をみていたら 先輩の小山内裕氏(東京県人会会長 S29卒)長内健氏(S37年卒)でした。
長内さんが大鰐出身、私が石川出身ということでかなりの部分が共有しているのに驚きました。手古奈氏のこと、俳句の道のこと、弘前電鉄で通学したこなど・・・・です。 是非 親父の俳句集をみてもらいたい思いました。親父「木堂」は根っこからの百姓ですが、戦前から手古奈主宰の「十和田」の同人でした。この句集は「十和田」に掲載された親父の句や文を集めたです。

笠井さんの「津軽と江戸」をたよりにいつか都内を歩いてみようと思います。



小田桐弘 

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