子どもの頃は気がつかなかったが、何時ごろから咲いているのかはわからない。
昔は大円寺と言っていたお寺は、明治5年の廃仏毀釈で大鰐へ引越し、熊野宮の塔頭から最勝院がここにやってきた。しかし弘前の人たちは未だに大円寺の五重塔と言っている。最勝院の住職にとってみれば面白くないのではないか?
本堂に向かう参道の両脇には津軽33観音の石仏
が並んでいます。
東北一の美塔と讃えられるこの五重塔はだれが何のために建てたのか?それは3代藩主信義が計画。信義は石田三成の孫である。関ケ原の戦いを家康に挑んだ張本人。何で敗戦の将の孫が津軽の殿様と思われるだろうが、ここでは話が長くなるので割愛。故笠井哲哉さんのブログにも詳しい。( このブログにもリンクして生きています。)津軽為信が南部藩から領地を奪い取る戦いでたくさんの犠牲者が出来た。それを敵味方なく供養するために建てたと言われる。完成したのは1667年(寛文7)4代藩主信政の時。
五重塔の彼岸花です。この花の名の由来は秋の彼岸の頃に開花することに由来する。この花の名はたくさんある。私が好きなのは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)山口百恵の歌(阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲)がある。百恵ちゃんは「まんじゅしゃか」と歌っている。恋する女のうたです。
また、この花には毒があるので「地獄花」「死人花」とも言われるそうだ。酷い話。
私には蓮の花と同じく、天上に咲くおめでたい花に思われるのですが。