2019年9月20日金曜日

最勝院五重塔の彼岸花(曼珠沙華)

今日から秋の彼岸の入りであるが、この時期になると五重塔の彼岸花(曼珠沙華)が咲きだしている。
子どもの頃は気がつかなかったが、何時ごろから咲いているのかはわからない。
昔は大円寺と言っていたお寺は、明治5年の廃仏毀釈で大鰐へ引越し、熊野宮の塔頭から最勝院がここにやってきた。しかし弘前の人たちは未だに大円寺の五重塔と言っている。最勝院の住職にとってみれば面白くないのではないか?
本堂に向かう参道の両脇には津軽33観音の石仏
が並んでいます。
東北一の美塔と讃えられるこの五重塔はだれが何のために建てたのか?それは3代藩主信義が計画。信義は石田三成の孫である。関ケ原の戦いを家康に挑んだ張本人。何で敗戦の将の孫が津軽の殿様と思われるだろうが、ここでは話が長くなるので割愛。故笠井哲哉さんのブログにも詳しい。( このブログにもリンクして生きています。)津軽為信が南部藩から領地を奪い取る戦いでたくさんの犠牲者が出来た。それを敵味方なく供養するために建てたと言われる。完成したのは1667年(寛文7)4代藩主信政の時。
五重塔の彼岸花です。この花の名の由来は秋の彼岸の頃に開花することに由来する。この花の名はたくさんある。私が好きなのは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)山口百恵の歌(阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲)がある。百恵ちゃんは「まんじゅしゃか」と歌っている。恋する女のうたです。
 また、この花には毒があるので「地獄花」「死人花」とも言われるそうだ。酷い話。
 私には蓮の花と同じく、天上に咲くおめでたい花に思われるのですが。


2019年9月6日金曜日

津軽富士見湖と鶴の舞橋

鶴田町の道の駅「あるじゃ」へ特産物のメロンを買いに行った折、津軽富士見湖の鶴の舞橋へ行ってきた。
津軽富士見湖は廻堰大溜池と言い、県内最大の貯水湖。弘前藩主4代津軽信政が万治3年(1660年)に新田開発の溜池として築いたもの。堤防の長さは42キロmあり日本一の長さである。
形態は3連の太鼓橋。長さ300mあり木造の橋の長さではこれも日本一である。(三連の太鼓橋は岩国の錦帯橋もある。)
この橋が有名になったのは平成28年JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスターで全国の駅に張り出され、モデルは吉永小百合。以来鶴田町は観光客の増加で大喜びであった。
橋の幅は3m、湖面からの高さは8m。青森県産のヒバの1等材を使用。橋脚は樹齢150年、親柱は樹齢400年と言う最高級材である。
岩木山を望みながら、総ヒバ造のこの橋を渡ると長生きすると言われる。樹齢400年のヒバと岩木山と江戸時代からの
溜池のパワーがビンビン感じられるのである。
この橋を渡った、ほとりに丹頂鶴自然公園がある。
江戸時代には鶴田町に丹頂鶴が飛来していたという。今はやってこないが、ここでは、丹頂鶴を中国や多摩動物公園から譲り受け飼育している。
釧路湿原のよう自然のままの姿ではないが、将来的に津軽富士見湖周辺飛び回る日が来ないだろうか?
今、鶴田町のある五能線は鉄道フアンには人気NO1の路線。西海岸をリゾート白神号が走っている。故郷の自然を楽しみに遊び来てください。