2015.6支部総会で配られた、古稀記念写真帳から
1985.6 当時の若々しさ
2001.6 渋谷区宇田川での総会
2011.6 軽井沢での国語教室
2011.9 総会後に「ふくろう亭」で
2012.10 津軽家上屋敷跡の発掘展
2014.1 港区芝での英語教室
2015年6月29日月曜日
2015年6月20日土曜日
横浜での陸羯南(くがかつなん)展
横浜の新聞博物館で、新聞「日本」をテーマとする企画展が始まりました。
*「孤高の新聞『日本』 ―羯南、子規らの格闘」
[会 期]2015年6月20日(土)~8月9日(日)
[場 所]日本新聞博物館 2階企画展示室
[主 催]東奥日報社/愛媛新聞社/日本新聞博物館
[特別協賛]青森銀行/みちのく銀行
[後 援]青森県/愛媛県/青森県教育委員会/愛媛県教育委員会/弘前市/松山市/
弘前市教育委員会/松山市教育委員会/神奈川県教育委員会/
横浜市教育委員会/陸羯南会/陸羯南研究会/松山子規会/子規庵保存会
19日に開かれた、「オープニング・セレモニー」の模様が、20日の東奥日報朝刊に報じられていました。
その中で、弘前市郷土文学館の館田さんが、「羯南の生き方を通して、新聞記者は文学者なんだと、実感した」、「(羯南と子規の間には)文学を軸とした人間的なつながりがあった」という感想を述べています。
早速410円(シルバー料金)を払って見学しましたが、全体的に違和感のない内容でした。
会場の出口で「陸羯南を語る(陸羯南会報)」が無人頒布されていました(写真)。館田さんが主宰している「陸羯南会」が、その存在をPRしているように感じました。
内容は、子規が漱石宛ての書簡(明治33年)に書いた羯南評をはじめ、関係者(加藤恒忠・河東碧梧桐・佐藤紅緑・寒川鼠骨・古島一雄・東奥日報)の、羯南評をとり纏めたものです。
展示品の中には、20年程前に出版された司馬遼太郎の「北のまほろば」もありました。
この本で司馬が羯南の功績を称えたことが、地元での羯南研究を活性化させたことは、事実です。
実は、週刊誌に連載された当初は、(羯南は)「一人の研究者もその故郷に持っていない」という断定的な表現だったのですが、郷土からの抗議に応じて、現在の「多いというほどの研究者をその故郷に持っていない」という表現に変更されたものです。
参照;「ご叱正もっともであります」
司馬が上記のように誤解した理由は不明ですが、津軽での羯南研究の状況が、広く伝わっていなかったことが一因であろうと、私は想像します。(笠井記)
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