2014年11月1日土曜日

平尾魯仙の碑

 弘前高校の近くにある貞昌寺は、弘前藩主の生母や姫君を葬っているために裏方菩提所とも呼ばれています。
3代藩主信義の生母辰子姫(=石田三成の娘)や、1821年の相馬大作事件の当時の用人だった笠原八郎兵衛、マルチ文化人だった平尾魯仙、津軽史の研究者だった下澤保躬(やすみ)、「青い山脈」の著者石坂洋次郎(分骨)など、津軽史の著名人がたくさん眠っています。
辛亥革命を援助した山田良政碑(孫文が揮毫)・純三郎碑(蒋介石が揮毫)もあります。

最近、平尾魯仙の墓前に、説明板が建てられました。
早速、街歩きの人々が訪れているようです。


「平尾魯仙 文化五年~明治十三年(1808~1880)幕末から明治初期の頃の画人かつ国学者」で始まる説明板の文字は読みやすく、魯仙肖像と寄書き」と「暗門瀑布図」も載っています。
昨2013年に、青森県立郷土館で特別展「平尾魯仙~青森のダ・ヴィンチ~」が行われました。



碑の裏面には、次のようにあります。
「平成二十六年十月吉日 
建立  平尾とよ 
撰文  娘 治子
発起人 三戸建次
石工  安田石材 石むろじ
安田伊佐武」
この発起人は、柔道家の前田光世(コンデコマ)の研究者として知られる人物で、撰文者はその奥さんです。
また、この碑は石工の寄付によるものだそうです。


弘前は、街歩きに適した街ですが、建物や墓碑の説明板が不足しています。
このような説明板を建てることは、観光客への「おもてなし」であるとともに、地元の人々に郷土の歴史を伝えることに役立ちます。
「知っている人に解ればよい」(覚でる人覚でれば良い)という、「謙虚な」発想から脱却して欲しいものです。